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正子の父。実業家・貴族院議員。資紀の長男。13歳で渡米。アーマスト大学卒業後、ドイツのボン大学に学ぶ。帰国後は国際文化人として多くの企業や団体で活躍した。22年襲爵。二五年貴族院議員。30年ロンドン軍縮会議に随員として参加。46年枢密顧問官。
《職業は実業家でも、心はまったく昔のままの侍で、そのうえアメリカでピューリタン的な教育をうけたから、娘の口からいうのもおかしいが、清廉潔白を絵に描いたような人物だった。
だから人には信用された。その一生は、「信用」の上に成立っていたといっても過言ではない。自分は無力だったが、どんな事業でも、父が頼めば人もお金も集った。私が子供のころ、あるアメリカの女性に、「日本でも社会事業のために、お嬢さんたちがお金を集める習慣があるか」と聞かれたとき、「パパがひとこといえばすぐ集るから、その必要はない」と答えたので、笑われたことがある。
酒もタバコものまず、道楽もしなかった。その点、取りえのないおやじだったが、といって自分の生活信条を、他人や子供に押しつけたことはない。きまじめな半面、常にユーモアを失わず、時には素頓狂な行いもした。》
(白洲正子「金平糖の味」より)

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