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美に生きた天才。通称「ジィちゃん」。若くより骨董の目利きとして知られ、中原中也、小林秀雄らと親交を結ぶ。まわりには常に文化人が集い、大岡昇平が「青山学院」と名づける文学サロンができた。正子は「切り込んででも入って」以来、3度胃潰瘍になり、毎日泣くほどの痛烈な「教育」を受けた。
《青山さんは『小林秀雄と三十年』の中で、「始め、私は小林の歩みと歩調を合せて、小林と全く同じ一年生になった気持で」陶器を買ったと書いてあるが、相手が人間でなくとも、犬でも猫でもそこまで降りて来られるのがこの先生の特技である。外国に、ドンキイ・レースというものがあって、驢馬の背中に釣竿様のものをつけ、その先に餌をつけて目の前にたらす。ふだんは怠けものの動物も、餌につられて駆けだすという仕掛けだ。もはやあくびをする暇はなかった。さしずめ陶器が教科書で、私は「発見」に熱中し、方々駆けずり回って獲物を持込むと、「何だ、これは僕が前に持ってたものじゃないか」といわれ、その度にがっかりした。「あれ、買おうと思うんだけど……」と相談すると、「思ったりしたり出来ない」ときめつけられた。褒められるかわりに韋駄天の渾名を貰い、発見なぞ何物でもない、発見したものを身につけることが難しいのだという。「そんなことヴァレリイがいってるヨ」というと、物覚えがよすぎると叱られた。》
(白洲正子「青山二郎」より)

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