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評論家。29年、『様々なる意匠』で文壇にデビュー、大作『本居宣長』にいたるまで、常に文学界をリードした。吉田満『戦艦大和ノ最期』の出版許可を得るためGHQとの仲介を依頼しに訪ねたのをきっかけに、白洲夫妻と生涯の友情を結ぶ。59年芸術院会員、63年文化功労者、67年文化勲章を受章。
《秋の夕暮のことだった。家のまわりは田圃で、小田急の鶴川駅との間に家は殆んどなかったが、その田圃の中の一本道をせかせかと歩いて来る男がいた。すぐ小林さんと解った。玄関(土間)へ入って外套をぬぐ間もなく、暖炉の前に座っていた白洲と、ろくに挨拶もせず早口に喋りはじめた。まわりにいる河上さんも私も子供たちも完全に無視され、進駐軍から貰ったとっときのウィスキィにも手をふれなかった。
これこれしかじかで、……今、どうしても出版しなければならない本なのだ。よろしく頼む。││会談はそれだけで終った。
小林さんの単刀直入の話しぶりは気持よく、初対面の人間を全面的に信用している風に見えた。白洲もそういう人間が好きだったから、話は一発できまり、必ず通してみせると胸を叩いた。あとは酒宴となり、世間話に打ち興じたが、著者の吉田満のことを小林さんが、「そりゃもうダイアモンドみたいな眼をした男だ」と、ひと言で評したのを覚えている。》
(『白洲正子自伝』より)

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