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肥後熊本藩主細川家直系16代の当主。細川護煕元首相の祖父にあたる。侯爵。晴川と号す。貴族院議員、国宝保存会会長等を歴任。中国美術品を中心とした蒐集家として知られ、伝来の美術品、藩政史古文書をあわせて、1950年に永青文庫を設立した。
《そんな変な女の子に興味をもったのか、おじ様たちは色んなことを教えて下さり、中でも細川さんの殿様は、「家へ遊びにおいで。わたしが教えてやろう」と、先生を買って出て下さった。
いくら遊びに来いといわれても、せいぜい父のお供で見物に行く程度だったが、それが御縁で大人になってからはしじゅう訪ねて行くようになった。周知のとおり細川家は幽斎・三斎の子孫で、本来なら茶道具が多い筈だが、細川さんは、白樺派の人たちと同年輩で、志賀さんや武者小路さんと親交があったから、しぜん古美術の上でも新しい物の見かたをされており、その蒐集も中国の書画骨董が主だった。今「永青文庫」と称されているのがそれで、その中の一部は現在、熊本の美術館に移されている。ついでのことにいっておくと、我々の間でトノサマといえば細川さんのことで、事実どこから見ても「殿様」らしい風格の人物であった。
トノサマは、私みたいなものが遊び半分うかがっても親切なかたで、世界的に有名な中国陶器を、漢時代から唐三彩、宋の陶磁から明・清のものに至るまで、年代順に見せて鑑賞の仕方を教えて下さった。本もたくさん貸して項いた。私が陶器を「勉強」したのはその期間だけで、もしかすると一番知識があるのは中国の古美術かも知れない。》
(白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』より)

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