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秩父宮雍仁(やすひと)親王妃。旧会津藩主の松平家に生まれる。正子とは学習院女子部初等科3年で同級となって以来、生涯の友となる。秩父宮との結婚にさいしては、正子の父・愛輔が実質的な仲人役を務めるなど、家族ぐるみの付き合いがあった。秩父宮妃となったさい、節子を勢津子と改名。
《妃殿下は、女子学習院の前期三年(小学校三年)の二学期に天津からご転校になり、私たちは同級生になった。夏休みには御殿場の我らの別荘におあずかりすることになって、私がアメリカへ留学するまでは富士の山麓でご一緒にすごした。兄姉の年が離れていて、一人っ子のような私にこんな楽しいことはなかった。私たちはふつうの女の子のように、毎日大さわぎをして遊んだ。
(中略)「会津魂」の持ち主は、物事に寛容で、わがまま勝手な私をいつも大目に見ていて下さった。
不思議なご縁で、私が十四歳でアメリカへ行ったあと、ほどなく松平さんも駐米大使になられ、ワシントンヘおいでになることとなった。私は学校が休みになると直ちに大使館へうかがい、富士山麓でのたのしい生活が再び私たちに戻ってきた。そんな中でも節子さま(のちに勢津子と改名)は、私が床に入ったあとまでも宿題に余念がなく、真夜中まで机に向かっていられるのを知って驚いた。》
(白洲正子「不思議なご縁」より)

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