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明治の3名人に数えられた初世梅若実の次男。21年、兄万三郎らとともに梅若流を樹立。48年、長男六之丞に六郎を継がせ、2世実を襲名。54年には能楽協会の斡旋で観世流に復帰した。55年、芸術院会員。
《いうまでもなく「金をのべる」とは、芭焦が俳句の理想の姿をいった言葉で、実先生の晩年の姿には、芭蕉の軽みや、良寛の書に共通する、もっと言えばモオツァルトの音楽にさえたとえたくなるような、充実した軽快さが感じられました。殊に忘れられないのは、中野のお家の敷舞台で、「絃上」の囃子を舞われた時、一緒に見ていた私の友人が「まるでそこらの兄さんが、手ぬぐいを肩に吉原へ遊びに行くみたいだね」と、感嘆のあまりそんな表現をしましたが、その手放しの自由な舞いぶりには、幸福感がみちあふれ、お能を見ていることさえ忘れさせるものがあったのです。
このようにとらえ所のない気楽さは、近頃のお能に馴れた見物には、或いはお気に入らないかも知れません。が、お能の究極の美しさは、お能を超えた所にあると私は思います。それは美術にも音楽にも文学にも通じる美しさで、私個人のことを云えば、物を見る上に書く上に実先生の舞台姿が、どれ程指針となっているかわかりません。そういう意味で、私は今でも先生のお弟子です。先生は未だ生きつづけていらっしゃる。忘れることの不可能なものを、何で思い出すことが出来ましょう。》
(白洲正子「実先生の映像」より)

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