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能楽喜多流シテ方。熊本生まれ。友枝家は熊本藩主細川家お抱えの能楽師の家筋。喜久夫は喜多流宗家14代喜多六平太に師事。老いて眼を病み、1990年、「景清」を最後に能舞台からは退くが、その後も謡や仕舞は続け、終生、現役でありつづけた。
《友枝喜久夫の芸は、現代でいえば、まさしく「たけたる位」に相当しているといえよう。といっても、本人が意識して行っているわけではなく、目が見えぬ悲しさといらだちが、「我を忘れる」結果となり、「我を忘れた」時に、思いもかけぬ美しさが火花となって散るのである。友枝さんの芸が能には珍しくドラマティックであるのは、訓練を重ねた技術の向う側に赤裸々な人間性が現れるからで、そのために、姿勢が崩れる恐れはいささかもない。今、ドラマティックと私がいったのは、芝居がかっているという意味ではなく、矯(た)めに矯めた感情が、能の型や約束を打ち破って現れる時、強烈な感動を与えるのだ。それは誰にでも理解できる美しさで、美しさというより、魂をゆさぶる衝撃といえようか。今時そんなものに出会うことは稀にしかない。》
(白洲正子『老木の花』より)
《バレエとお能とでは天と地ほどの相違があるが、私にこの世のものならぬ美の神髄を見せてくれたのは、あとにも先にもバレエのアンナ・パヴロヴァと、能楽の友枝喜久夫しかいない。》
(『白洲正子自伝』より)

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