|
東京日本橋に叔父松繁(号:不孤斎)が創業した骨董商「壺中居」の2代目主人。戦前より青山二郎、小林秀雄らと交わり、青山には叔父の号をもじって「腹黒斎」と命名された。
《煕さんは、商売とは別に、そういう種類のものばかり集めている。どんなに頼んでも、決して譲ってくれない。これは美術商としては珍しいことで、大抵の人が、非売品でも、適当な値段なら必ず手放すものである。そういう所が、商売人らしくない。だから、小林さんとか青山二郎さんなどと、友達付き合いが出来たのだろうが、そんなに自分が好きなものなら、気に入った友達には、譲ってくれそうなものなのに、そうはしない所が、商売人らしくもある。
いつか私が、志野の香炉をもっていたことがある。これは昔、文化財の加藤唐九郎氏と、北大路魯山人が、わざわざ瀬戸まで「拝見」に行ったという逸品だが、当時は私に買える程度の値段だった。そのうち、お金がいることがあって、また煕さんに買って貰ったが、十倍ぐらいになっていた。それからまだ五、六年しかたたないのに、あるとき、「あの香炉ね、千五百万円で買いにきたけど、あたし、売りませんでしたよ。好きなものは、いくらお金をつまれたって、手放しゃしません」とにくたらしい顔をしていう。嘘かほんとか知らないが、それでは私が買った時の何百倍、売った時の何十倍かになっている。しかも売らないというのは、私を口惜しがらせる為だ。その後、何度も同じことをいうので、癪にさわってならないから、いってやった。「そんなに好きなものを売って、皆に一杯飲ませたら、偉い奴だと頭さげるがなあ。口惜しかったら、売ってみろ」でようやくだまらせることが出来たが、こんなにくまれ口骨董界ひろしと言えども、こんな友達付き合いができる人間は少ない。またしすぎたのでは、商売にさしつかえるだろうし、店のしめしもつくまい。》
(白洲正子『ものを創る』より)

|