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評論家。小林秀雄とならぶ近代批評の先駆者。軽井沢の別荘が隣り合っていたことから、先に河上夫人の知己を得て親交を深める。45年には、東京の空襲で焼け出された河上を、白洲次郎が迎えに行って鶴川の自宅に連れ帰り、河上は2年間、白洲家に寄寓した。

《徹兄の眼は物を眺めたりなぞしない目である。たださえ奥にひっこんだその目は、いつでも内へ向っている様だ。そう云えばほんのちょっとした癖でも、その人をよく物語るものである。徹兄を知るかぎりの人は、彼が両方の指先を、数珠を持つかの如く、いつでも爪繰っているのに気がつくだろう。たとえ火鉢にかざす時でも、よっぱらった時以外その指先が開かれる時はまずないと言っていい。その様に、名実ともあらゆる場合に徹兄は、他を対象に「説法の形」をとる事はしないのである。
(中略)いわゆる旧家とか大家とかいう背景がどれ程重荷になるものか、それは世のもろもろの甘やかされた一人っ子達を見れば解る事であるが、徹兄は負けなかった。と云って、一人っ子の垢をふるい落したというのではない。彼ほどその最たるものはない。いわばその弱点をそのまま徹底的につきつめて行き、ついには一人っ子中の一人っ子、たった一人の孤独な人、しこうして自由な人間に自らを育てあげたのではないだろうか。》

(白洲正子「一つの存在」より)