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《荒川さんの作品は、そういう日常の暮しの中から生れた。したがって、その源泉がどこにあるかということは一概にはいえぬ。しいてあげるなら、古い美濃の国の歴史と風土、焼きものの伝統とのつき合いの中から、自然に育くまれたとしかいいようがない。荒川さんほど自分の生れた土地を愛し、しかも完全にその中にとけ込んでいる人を私は知らない。私のように故郷を持たぬものには、羨ましくみえてならないが、また氏の作品に人が魅力をおぼえるのも、そういう豊かな人間性にあるのではないか。
そのような人物を語るのはむつかしい。作品はいわば日常生活の結果に他ならず、極端なことをいえば、荒川さんの一部でしかない。別の言葉でいえば、芸術至上主義者ではなく、人生をたのしむことを知っている生活人なのだ。「造ろうとせずに、無意識に出来たものが美しい」といわれるのは、自然の前にいかに人間が小さな存在であるか、身にしみていられるからだろう。いい古された言葉だが、つき合っていると私は、「一期一会」という詞を思い出す。何も大げさなことではない、それはたとえば一生に一度見るか見られない花の便りであったり、いろり端で手ずから焼いて下さる田楽の味だったりするが、淡々とした仕草の中に心がこもっており、一つ一つの場面がたのしい憶い出としてよみがえるのである。》
(白洲正子「牟田洞人の生活と人間」より) |
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