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《倭男さんには多くの兄弟がいられるが、実質的に父上の後を継いだのは彼で、現在は銀座で「高田装束研究所」をいとなんでいる。それについては後に記すが、高田家は倭男さんで二十四代目に当り、明治維新までは京都の蛤御門のあたりに住み、宮廷に直結した装束店であった。古くは御所の中の縫殿寮とか織部司に仕えた官人だったに相違ないが、朝廷が衰微した後は独立して、御所の近くに住んだのであろう。それは大体応仁の乱以後のことで、お菓子の「虎屋」やちまきの「道喜」と似たような運命を辿った。蛤御門の合戦があった後は上立売(かみたちうり)に居を移したが、東京へ遷都になると、明治天皇の行列に従って上京し、時の政府から宮城の近くの麹町に土地を頂いた。中六番町の邸はその時からのもので、皇室との関係は実に数百年に及ぶのである。
そういうことも私は最近になって知ったので、高田さん父子はおくびにも出さなかった。あくまでも出入りの商人同様に振舞っていたが、王朝の文化に対する身の入れかたには並々ならぬものがあり、形や色に対する微妙な感覚が身についているのは、やはりそういう血筋によるのだと思う。》
(白洲正子『遊鬼』より) |
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